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第5日 横須賀〜久里浜(その2)

                      (歩いた距離 14.4km  2002.03.03)

 なお進むと浦賀駅に着く。駅の廻りは商店が少しあるだけで、思ったより寂しい感じである。

 浦賀を過ぎ、浦賀港に沿って久里浜に向かうと西叶神社がある。

 「平家の横暴に憤った文覚上人が、上総国鹿野山に籠もり山城国石清水八幡宮に源氏の
再興を願って叶えられたことから、養和元年(1181)にそのみ霊をこの地に迎えて祭った
ことに始まる」という。

kanas5-20.JPG kanas5-19.JPG  拝殿の前に鬣や尾の毛が
きれいにカールして、
上品な感じで左右ともアの
天明6年(1786)の
「江戸尾立」狛犬がいる。

左・ア

右・ア

kanas5-18.JPG kanas5-17.JPG  また石段を上ったところの玉垣に隠れているように
立ち上がっている狛犬がいる。
尾を見れば「江戸」系で、唐草が陽刻されている。
玉垣と一体になっているので「玉垣」狛犬と分類する。
天保13年(1842)の再建の時に作られたものか。

kanas5-16.JPG  この社殿で「特に注目に値するのは精巧な彫刻です」。
安房国千倉の彫刻師後藤利兵衛橘義光が作ったもので、
格天井一枚一枚に彫られた花鳥草木の透し彫りがすばらしい。

kanas5-21.JPG kanas5-22.JPG  参道の入り口は海に面していて、
そこに「渡し」がある。
 小さな屋形船が、浦賀湾を渡って
対岸の東浦賀と行き来している。

kanas5-24.JPG kanas5-23.JPG

 海沿いの道を行くと、
為朝神社がある。

 鬼顔の明治39年(1906)の
「江戸」狛犬がいる。

 この辺りは「川間」といわれ、江戸湾に出入りする船の積み荷を改める奉行所が、
享保5年(1720)に伊豆下田から移ってきて、その後浦賀奉行所になったところである。
現在、跡地は集合住宅になっている。

kanas5-26.JPG  川間の町内会館の玄関の上には、
大きな木と鶴の鏝絵がある。
 伊豆の名人長八の猿田彦などの鏝絵を
品川の寄木神社で見たことを思い出す。

 その裏に川間の鎮守の第六天神社がある。
 尾が一度上がって背に広がっている「江戸」狛犬がある。大正3年(1914)だが溶解が激しい。

kanas5-28.JPG kanas5-27.JPG  この神社の左右の脇障子は下り竜と登り竜の鏝絵である。

 公道とは思えない細い山越えの道を行き、久里浜を目指す。

 車道に出る。
 浦賀港拓道碑がある。明治4年に久里浜坂が切り開かれた経緯が記されているという。

 坂を下り、右に入ると広い境内の若宮神社がある。

 耳が大きく、垂れている鬼顔の昭和10年(1935)の「江戸尾立」狛犬がいる。
右アの尾がソフトクリームのようにねじれて立っている。

 神社の由来碑が大きな台石にのっている。
この台石に「浦賀工場の寄贈にして、日露戦役の際旅順口閉塞船弥彦丸に利用せしものなり」
と書かれている。

 京急久里浜で乗車して、帰宅。

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